No,164 【谷山浩子:今日の1曲】  「穀物の雨が降る」 ①



アルバム 1986年10月21日発売
作詞・作曲:谷山浩子、編曲:石井AQ・谷山浩子  【黒谷山】  (3:18)

【ポイント】
 ・ 「地球滅亡三部作」の“その1”です。


このアルバムの中では一番短いものになりますが、世界観が面白い作品でもあります。
まずもってタイトルからして不思議ですが、歌詞にも中途半端に大雑把なところがあり、またそれが良さになっているようです。何しろ「穀物」と漠然と言っていて、その種類が全く不明瞭なんですね。歌詞の内容からどうやら米とライ麦は入っていそうなんですが・・・それにしても、どこでこんな歌詞を思いついたのでしょうか。

マリンバとドラムの使い方が面白く、音楽的な楽しさもある作品です。
が、「地球滅亡ソング」ですから、そこは“黒い”です。ライフベストアルバムの「白と黒」でも黒セレクトされていて、このVer.が収録されています。

浩子さんの作品には「合唱隊」が大人・子供、専門・素人集団を問わずに編成される歌が度々出てきますが、この作品はちゃんとした合唱団、「森の木児童合唱団」がコーラスで参加しています。


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Date: 2017.07.31 Category: 谷山浩子   

【今日は何の日?】 7月31日は 『作家だった飛行士が帰還しなかった日』

【今日が記念日】
 ・クールジャパンの日
 ・ビーチの日
 ・土地家屋調査士の日
 ・トゥインクルレースの日

こんな記念日である本日ですが、今日の話題はこちらです。

その略歴に、操縦する飛行機が発見されるまでは 『未帰還』 と書かれていた飛行士がいました。
アントワーヌ・マリー・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリ。
そう、作家:サン=テグジュペリ、その人です。
代表作には「星の王子さま」が良く知られていますね。
その彼が、地中海を飛行中に行方不明になったのが、1944年(昭和19年)のこの日でした。

彼は、19世紀最後の年、1900年(明治33年)2月26日にリヨンに生まれたフランス人です。
学生時代は文学を志していましたが、兵役で陸軍飛行連隊に所属。軍用機を操縦する士官となります。兵役を終えて退役後は民間航空業界に入りました。
その一方で、1926年(大正15年)、26才の時には作家としてもデビューします。
作品数は多くないものの、自分の飛行士としての体験に基づく作品を発表していきます。その作品は世界中で読まれ、空に憧れた当時の若者の心を掴んだ作家でもありました。

1939年(昭和14年)9月に第二次世界大戦で召集されます。
内地で飛行教官を務めていた彼は前線への転属を希望し、11月に偵察隊に配属されました。その後、部隊は大きな損害を受けたものの、フランスがドイツと講和した為、動員も解除されます。

彼はフランスへ戻った後、1940年(昭和15年)にアメリカへ亡命します。
それなのに、彼はニューヨークから第二次大戦へ自ら志願して再び戦地に向かいます。

再度の実戦勤務では北アフリカ戦線へ赴きます。
1943年(昭和18年)6月に以前所属していた偵察飛行隊に再び着任し、その後、部隊は地中海のコルシカ島に進出していきます。
そして、1944年(昭和19年)のこの日、フランスの内陸部を写真偵察を行なう為、偵察機でボルゴ飛行場から1機で発進しますが、地中海上空で行方不明となってしまいます。

そこから長い間、彼の消息はわからないままでした。
彼が行方不明になる前後に各国で発刊されたのが「星の王子さま」だったこともあり、そのミステリアスな行方も彼の作家としての背景を飾ることになりました。


時を経て、1998年(平成10年)9月7日。
地中海のマルセイユ沖の海域で、「サン=テグジュペリ」、「妻コンスエロ」、「星の王子さまの版元の名と所在地」が刻まれたブレスレットが漁船によって発見されます。
このブレスレットの発見によって改めて探索が行われた結果、2000年(平成12年)5月24日にこの海に沈む飛行機がサン=テグジュペリの搭乗機であることが確認されました。そして、同26日にマスメディアで報じられ、世界中に伝えられました。

更に、2008年(平成20年)には結論的な「証言」が出てきます。
プロヴァンス地方のローカル新聞に、当時ドイツの曹長だったパイロットが『私がサン=テグジュペリの乗る偵察機を撃墜した』という発言を行ないます。皮肉なことに、彼自身もサン=テグジュペリ作品の愛読者でした。
撃ち落としてから2日後には通信傍受で彼が行方不明になったことを知っており、
『長い間、あの操縦士が彼では無いことを願い続けた。彼だと知っていたら撃たなかった。』
と話したそうです。


ところで、このお話、何かの物語に通じるものを感じませんか?
孤高のパイロットが、人殺しの為の戦争はせずに、ひとり大空を飛び続けた男の姿です。
宮崎駿監督の 『紅の豚』 のポルコ・ロッソ。


サン=テグジュペリの本人の写真や、リヨンにある彼の銅像の姿、それとポルコ・ロッソの姿がどこか似ているという印象を私は持っていますが、皆さんはどうお感じになるでしょうか?

  


Date: 2017.07.31 Category: 歳時記   

【今日は何の日?】 7月30日は 『昼間の大空で空中衝突が起こった日』

【今日が記念日】
 ・ターザンの日
 ・梅干の日

こんな記念日である本日ですが、今日の話題はこちらです。

岩手県は雫石町の上空で自衛隊機と全日空機が空中衝突した「全日空機雫石衝突事故」は、1971年(昭和46年)のこの日に発生しました。
旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、共に墜落。機体を損傷した旅客機は空中分解し、乗客:155名と乗員:7名の計162名の全員が亡くなるという日本の航空史上に残る大事故でした。

その日、北海道の千歳空港発の羽田行の全日空58便(ボーイング727)は、機材の遅れにより、午後1時33分に離陸します。その乗客の多くは団体旅行客の静岡県富士市からの一行でした。
58便は函館を過ぎたあたりから高度を28,000ft(約8,500m)に上昇し、宮城県の松島上空を目指して自動操縦で飛行していました。

航空自衛隊のF-86F戦闘機の2機は、編隊飛行訓練のため「有視界飛行方式」による飛行計画で松島基地を午後1時28分頃に離陸しました。
離陸前に教官は訓練生に対して訓練空域は盛岡であることを示し、訓練後は松島飛行場へ向かって自動方向探知機よる着陸訓練を行う予定であることを伝えていました。

そして、午後2時過ぎ、事故が発生します。
当時、「雫石町上空は視界は良好」という環境下で、下層に雲が少しある程度だったそうです。

衝突の3分前。全日空機は、高度:28,000ft(約8,500m)を速度:約902km/hで水平飛行をしていました。

一方の自衛隊機のうち、教官機は高度:約25,500ft(約7,800m)を速度:約824km/hで左旋回中に飛行機の後方に、訓練機とそのすぐ後方に接近している全日空機を確認し、直ちに訓練生に接触を回避するよう指示します。
訓練機は教官の左旋回に追従して旋回していましたが、その最中に教官からの異常事態の通信が入ります。
その直後、右側の至近距離に“大きな物体”を確認し回避動作を実施しましたが、約2秒前(距離約500m)からでは既に手遅れでした。

訓練生機に全日空機が追いつく形で衝突。それは水平尾翼の安定板の左先端付近前縁を引っかけるような形となり、衝突により水平安定板と昇降舵の機能を喪失し操縦不能になってしまいます。
全日空58便は降下しながら飛行したものの、降下姿勢を回復できず、その速度が「音速の壁」を突破したことで約15,000ft(約5000m)付近で空中分解します。「音速の壁」を突破した際の衝撃音は盛岡市内など、墜落地から離れた場所でも確認されたそうです。

当時の全日空機にはボイス・レコーダーは装備されていなかったので、機内でどんなやり取りがあったのかはわかりませんが、真昼の晴れた大空で飛行機が空中衝突するという稀有な事故はこうして起こってしまったのです。


しかし、歴史とは皮肉なもので、実はこの日、別の飛行場でも羽田行きの飛行機が地上で衝突事故を起こしています。
それが「パンアメリカン航空845便離陸衝突事故」です。
ロサンゼルス国際空港発羽田行845便のジャンボ機(ボーイング747)がサンフランシスコ国際空港の離陸時に起こしたものですが、重軽傷者が29人も出ました。これがジャンボ機の初の人身事故と記録されているものです。


Date: 2017.07.30 Category: 歳時記   

No,163 【谷山浩子:今日の1曲】  「絵はがきの町」



アルバム 1986年10月21日発売
作詞・作曲:谷山浩子、編曲:吉川忠英  (4:13)

【ポイント】
 ・ 半音が多く、唄うのに腕が求められそうですね。


アコースティックギターだけで奏でられる伴奏に仕立てられた曲です。
ギターの良い音が楽しめるアレンジがとてもよく、編曲者でもある吉川さんの弾くギターの音色がとても美しいです。

フォークソングとは違う、またニューミュージックとも違う、独特の気持ちよさを持った曲で、聴いていて大変リラックスできる作品です。そういう意味では「絵はがきの町」というタイトルから来るイメージも裏切らない曲になっていると思います。

文学的な表現が美しい2番の歌詞が、また違った良さを感じさせてもくれます。


Date: 2017.07.29 Category: 谷山浩子   

【今日は何の日?】 7月29日は 『彼女がプリンセス・オブ・ウェールズになった日』

【今日が記念日】
 ・永くつながる生前整理の日
 ・七福神の日
 ・福神漬の日
 ・白だしの日

こんな記念日である本日ですが、今日の話題はこちらです。

イギリスの皇太子妃だったダイアナさんが、王位継承権者ウェールズ公チャールズさんと、世界中の話題となった結婚式を挙げたのは、1981年(昭和56年)のこの日のことでした。

彼女はイギリスの名門貴族スペンサー伯爵家の令嬢として生まれた女性でした。皇太子との交際を経て、1981年(昭和56年)2月に婚約を発表します。
チャールズ皇太子の決定により、結婚式は1981年(昭和56年)のこの日にセント・ポール大聖堂で行なうことになります。その式の準備はチャールズ皇太子自らが取り仕切り、流す音楽である祝賀の歌や聖歌も彼がセレクトしたものになりましたが、彼女の好きな愛国歌:『我は汝に誓う、我が祖国よ』はセレクトされていました。
但し、招待客についてはエリザベス女王が取りきめたのだそうです。

結婚式のいでたちは、彼女はイギリス製のシルクでできた大変豪華なウェディングドレスで、その裾は王室史上最長の7.5メートルにも達したほどの美しい仕立てでした。装飾品には、実家のスペンサー伯爵家伝来のダイヤモンドのティアラ。母から贈られたダイヤモンドのイアリングを着けていました。
一方のチャールズ皇太子は王立海軍礼服を着用していました。

世界中の君主、王族、大統領、首相などが集結している大聖堂に到着したダイアナは、バージンロードを父とともにゆっくり進み、待っていたチャールズ皇太子の横に立ち、その様子はテレビで全世界に中継されました。
そして、式を終えた2人は国民の歓声を受けながら馬車でバッキンガム宮殿へ戻ります。
その歓声に応えて王族の皆さんはバルコニーに出て集まっていた国民に手を振って挨拶します。そこで皇太子とダイアナさんはキスをして喝采を浴びました。




その後、チャールズ皇太子との間にケンブリッジ公ウィリアム王子およびヘンリー王子をもうけます。
しかし、後にチャールズ皇太子と別居状態になり、1996年(平成8年)には離婚します。
そして、1997年(平成9年)。
パリでの交通事故で彼女が“不慮の死”を遂げたことは皆さんもよくご存じの通りです。

この結婚式の様子は、子供のウィリアム王子の結婚式の時に思い返された方々も多かったことでしょうね。


Date: 2017.07.29 Category: 歳時記   
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FX&鉄(fxrailways)

Author:FX&鉄(fxrailways)
気がつけば転職7回! 「人生への投資」で出費がかさんだうえ、わずかな資産もリーマンショックで大きな痛手。景気回復に期待しつつも『まずはお小遣いの安定確保!』を目標に、わずかな軍資金で2013年9月から再びトレードに参入です。
トレードだけでなく、あちこちの趣味に話が飛んでいきますので、たぶんグダグダなブログになるかも、です。

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